花雷 日記

夏は、花火を追いかけています。週末は、子供の頃から好きだった歴史的遺産を散策しています。デジカメ持って散策しています。同業者の方が結構いるので、お・ど・ろ・きです。
増上寺 徳川墓所特別公開  2011.11.30



































































| 花雷 | 徳川将軍家 | 07:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
麟祥院 春日局墓所



徳川3代将軍家光の乳母春日局の菩提寺として知られている。寛永元年(1624)に春日局の願いによって創建された。春日の局はここで余生を送り、寛永20年(1643)65歳で死去した。その没後、境内に墓地が造られました。当時はお寺の周囲にカラタチの生垣をめぐらせていたので、「からたち寺」と親しく呼ばれていたそうです。
















稲葉正則室の墓で、稲葉正則は春日局の孫にあたります。










稲葉正則の娘の墓




天正7年- 寛永20年9月14日、江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母。
「春日局」とは朝廷から賜った称号で、本名は斎藤 福。父は美濃の名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で明智光秀の重臣であり甥(実際には従弟)とも言われる斎藤利三で、母は稲葉一鉄の娘・稲葉あん。稲葉正成の妻で、正勝、正定、正利の母。養子に堀田正俊。江戸城大奥の礎を築いた人物。松平信綱、柳生宗矩と共に家光を支えた「鼎の脚」の1人に数えられました。家光死後の貞享3年(1686年)に成立した『春日局略譜』によれば、秀忠・江与夫妻が竹千代の実弟・国松(徳川忠長)を溺愛している様子を憂慮し、自害しようとした家光を諌め、元和元年(1615年)、駿府にいた大御所徳川家康に竹千代の世継を確定させるように直訴したとされます。この直訴はその時は失敗し、後に家康が江戸城を訪れた時にその江与の溺愛ぶりを見て考え直した、という説もあります。
ちなみに、近年では江与との対立は春日局の一方的なものであり、江与に対抗意識を燃やして家康に訴えた事、そのために駿府まで走っていった事は江戸時代の創作であると考えるのが通説です。同様に、夫の浮気に怒って相手を殺して家を飛び出した事、後水尾天皇に譲位を迫った(実際は譲位をしないように働きかけたのだが、さほど身分も高くない春日局がでしゃばったことに天皇が怒り、譲位を強行した)事も創作であるとされています。が、春日局が家光の忠実な乳母だった事に間違いはなく、後に大奥御年寄に任ぜられて奥向きの公務を取り仕切るようになり、将軍の権威を背景に老中をも上回る実質的な権力を握ります。息子の稲葉正勝も家光の小姓に取り立てられ、元和9年(1623年)に老中に就任、寛永9年(1632年)には相模小田原藩主となりました。
寛永6年(1629年)には、家光の疱瘡治癒祈願のため伊勢神宮に参拝し、そのまま10月には上洛して御所への昇殿を図ります。しかし武家である斎藤家の娘の身分のままでは御所に昇殿するための資格を欠くため、血族であり(春日局は三条西公条の玄孫になる)、育ての親でもある三条西公国の養女になろうとしましたが、既に他界していたため、やむをえずその息子三条西実条と猷妹の縁組をし、公卿三条西家の娘として参内する資格を得、同年10月10日、後水尾天皇や中宮和子に拝謁、従三位の位階と「春日局」の称号、及び天酌御盃をも賜ります。その後、寛永9年7月20日の再上洛の際に従二位に昇叙し、緋袴着用の許しを得て、再度天酌御盃も賜ります。
寛永3年(1626年)の崇源院(江与)の死後は家光の側室探しに尽力し、伊勢慶光院の院主であったや、などの女性たちを次々と奥入りさせました。一方で寛永11年(1634年)に正勝に先立たれ、幼少の孫正則を養育、後に兄の斎藤利宗が後見人を務めました。
寛永20年(1643年)9月に死去、享年64。辞世の句は「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」



異説
・出生地については光秀の居城のあった丹波亀山城坂本城などがあります。
・将軍家の乳母に登用された経緯には、京都所司代板倉勝重が一般公募した話などが伝えられいますが、あるいは、秀忠の正室・江の侍女である民部卿局の仲介で乳母となったともされます。
・家康の手が付いていたという見方もあります。乳母に過ぎない身分の者が将軍世継ぎ問題で家康に直訴したとしても、通常家康が会うとは考えにくいとして、お福がかつて愛妾の一人であったとする説もありますが、定かではない。
・春日局は通説では徳川家光の乳母であるが、小説家の八切止夫は春日局が家光の生母という説を立てています。
・大奥では、乳母は黒子のように覆面をして授乳する奇習があった。これは春日局の権勢に懲りた幕閣が、将来の将軍と乳母のつながりが深くなり、後に政治に介入されるのを避けるために考案した風習という説があります。



1630年寛永7年)に徳川家光の乳母春日局が拝領、町屋にした。金富町、仲町、大和町、水道町、大門町、同心町などを吸収・合併して春日町誕生。本来の春日は今の後楽だが、該当する町名が見つからず住居表示で採用されました。


| 花雷 | 徳川将軍家 | 08:07 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
川越市 仙波東照宮  その2


喜多院第27世住職天海僧正が徳川初代将軍家康公を祀ったものです。
家康公は、元和2年(1616)4月17日、75歳で薨去されると、いったんは静岡県の久能山に葬られましたが、家康公の遺言に従い、元和3年(1617)、2代将軍秀忠は亡父家康公の遺骸をあらためて日光に移葬しました。
その時、久能山から日光に至る道中、同年3月15日出発して、道中の各宿に泊りつぎ、同23日、仙波喜多院の大堂(薬師堂、のちに東照宮本地堂とも言いました)に到着しました。
このところで天海僧正 は親しく導師となって、3月26日まで、実に4日間、衆憎を集めて、丁重な法要を厳修しました。


この長い法要を終えて、次宿・行田忍にお送りした後の元和3年(1617)9月16日、天海僧正は家康公在世の渥恩に感謝の気持ちを伝えるため、また遺柩止留の跡として、家康公の像(高さ八寸八分)を作り、大堂に祀ったのが東照宮の初めです。
天海僧正は、この東照宮を広く多くの方に崇拝してもらうため、現在のこの地に高さ五間の丘陵を築きあげて立派な社殿を造り、寛永10年(1633)11月16日遷祀しました。
同年12月24日には、後水天皇が宸翰御神号として「東照大権現」の勅額を下賜されました。ところが寛永15年(1638)1月28日、川越街に大火災が起こり、仙の神社、堂塔、門前屋敷まで延焼してしまいました。これを聞いた3代将軍徳川家光は、直接東照宮再建の計画を立て、同年3月、川越城主堀田加賀守正盛を造営奉行に命じ、天海僧正を導師として、寛永17年(1640)5月竣工しました。現在の社殿はこのときのものです。



以来、社殿並びに神器等はすべて幕府が運営するものとなりましたが、もともと自祭であり祭資は幕府からいただいておりませんでした。そこで喜多院第29世住職周海僧正(天海の高弟)は祭典の完備を期して、寛文元年(1661)3月、松平伊豆守信綱(川越城主)を介して、4代将軍徳川家綱にお願いをし、大仙彼の地200石を祭資に供せられました。
その後、幕府の手でたびたび修理を加えられ、弘化4年(1847)にもっとも大きな修理を行いました。明治2年(1869)、諸領一般上地の令により社領を奉遷し、逓減割となり、同年の神仏分離令により、喜多院の管理を離れました。




| 花雷 | 徳川将軍家 | 07:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
岡崎市 大樹寺 その3
多宝塔 - 天文4年(1535年)建立、初層平面は方形、二層平面は円形。
大樹寺には創建当時の建物はありません。最古の建物がこの多宝塔です。天文4年(1535)松平清康公の建立になるものです。室町末期の様式を示しています。
多宝塔は法華経信仰によるもので、多宝如来が安置されています。屋根はこけら葺きでしたが現在桧皮葺きです。


 











惣門
寛永15年建立3間薬師門、屋根切妻造、本瓦葺、3間中央間を広く取って戸口とし、向かって右側に潜り戸口があります
















| 花雷 | 徳川将軍家 | 07:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
岡崎市 大樹寺 その2
 松平八代・家康公墓地
元和元年(1615)徳川家康公は先祖松平八代廟所を寺内に建立しました。元和三年には家康公の一周忌が営まれ、現在の墓の姿が整ったとされます。昭和44年には岡崎市民が家康公の徳を顕彰して遺品を納めて墓と碑を建立しました

































| 花雷 | 徳川将軍家 | 07:24 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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