花雷 日記

夏は、花火を追いかけています。週末は、子供の頃から好きだった歴史的遺産を散策しています。デジカメ持って散策しています。同業者の方が結構いるので、お・ど・ろ・きです。
東武鉄道 20050系



東京地下鉄日比谷線直通用の2000系を置き換える目的で製造されました。またステンレス製軽量車体構造およびボルスタレス台車の採用は、ほぼ同時期に導入された10030系に準ずる。有楽町線直通用の9000系と同様に、主回路制御にAFE(自動界磁励磁制御)式主回路チョッパ制御を採用している。主電動機は、10000系列との共通の直流複巻電動機を採用している。1992年(平成4年)までに8両編成13本(104両)が落成した。

1988年からは営団地下鉄でも車両冷房を開始することになったが、日比谷線では車両の更新も兼ねており、まずこの20000系が最初に営業運転を開始し、次いで営団03系、東京急行電鉄1000系の順で営業運転を開始した。

その後、編成の前後各2両を5扉車とし、主回路制御にGTOサイリスタ素子によるVVVFインバータを採用するとともに、LED式行先表示器や液晶式車内案内表示器(シャープ製。5扉車の増設ドアを除く全ドア配置)、ドアチャイムなどを装備した20050系が1992年12月29日に登場した。8両編成8本(64両)が在籍し、先頭車の正面には5扉車であることを示す「5DOORS」マークを掲出する。このうち液晶表示器は液晶自体の劣化が進んだため、1999年に9050系のものとともに撤去し、その位置は広告枠としたが、2010年末頃から10000系修繕車と同様のLEDスクロール式表示器が千鳥配置(左右交互配置)されている。20050系の導入当初は東武線内では5扉開閉での運用を行っていなかったが、1993年3月1日から日比谷線03系とともに5扉開閉を開始した。この時は、以降の混乱を避けるため同年2月26日から2月28日まで朝ラッシュ時の8本の列車のみで試験的に実施していた。2011年時点での5扉車の3扉開閉は、整列乗車のために始発駅でのみ行われ、発車後に車掌より次の駅から5扉すべて開閉する旨のアナウンスがなされている。

2000年3月8日に中目黒駅構内で発生した営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故により、21852編成の中間車2両(モハ23852・モハ24852)の車体が2001年4月に東急車輛製造において代替製造された。これは修理扱いで事故による廃車とはしていない

さらに編成両端の5扉車を3扉車に戻し、シングルアーム式パンタグラフ、LEDスクロール式車内案内表示器(千鳥配置)を装備した20070系が1997年3月25日に登場した。8両編成3本(24両)が在籍しているが、これらは置き換えではなく列車増発用として登場した。この頃から全車両の車体側面部に「日比谷線 直通」と表記したプレートを貼付するようになった。

これら20000系列の車両は、すべて乗り入れ先の日比谷線の規格に合わせて18m級車体である。編成はすべて、制御車・電動車のみのMT比6M2Tで構成されている。

系列の違いによる運用の区別はなく、全編成共通で東武車の運用(運行番号の末尾「T」)で使用されている。

定期列車の走行区間は、南栗橋 - 北千住 - 日比谷線中目黒間であり、2013年3月15日まで行われていた日比谷線の反対側の直通先、東急東横線への乗り入れはなかった。日比谷線への直通列車のほか、東武線内のみを走行する列車や、走行距離の調整で日比谷線内のみを走行する列車もある。いずれも各駅停車で運行される。

20000系は行先表示器字幕は登場時、「普通」表示が入ったものと行先のみの2種類が用意された。2009年のダイヤ改正に備えて、「南千住」を加えローマ字を付加したものに交換された。

ウキペディアから引用しました。




 

| 花雷 | 鉄道 | 09:40 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
東武鉄道 小泉線


小泉線の前身は、1917年(大正6年)3月12日に館林 - 小泉町間で営業開始した中原鉄道(ちゅうげんてつどう)小泉線であった。同社は1922年(大正11年)に上州鉄道と改称され、軽便鉄道から地方鉄道となったが、1937年(昭和12年)に東武鉄道に買収された。その結果、中原鉄道小泉線が東武鉄道小泉線となった。

その後、小泉町駅と仙石河岸駅を結ぶ仙石河岸貨物線が開業し、途中に新小泉駅が開設された。付近には富岡氏が支配した小泉城、富岡氏から分かれた小泉氏発祥の地もある。

1941年(昭和16年)6月1日に中島飛行機小泉製作所への輸送を行うため、太田 - (現)東小泉間が開通したことを受け、小泉信号所(現・東小泉駅)が設けられた。同駅は翌1942年4月に東小泉駅と改称し、旅客営業を開始している(代わりに小泉町駅での旅客営業を中止)。同年12月1日には仙石河岸線に西小泉駅が開設され、中島飛行機小泉製作所の玄関駅となった。

軍の要請によって仙石河岸線の新小泉駅から分岐させて熊谷線と接続する予定であったが、第二次世界大戦後に工事は停止され、また仙石河岸駅と新小泉駅も相次いで閉駅され、西小泉駅以南は廃線となった。熊谷線は、1983年(昭和58年)5月31日に廃止されている。

東小泉駅は、1955年(昭和30年)に再び信号所となったが(代替として小泉町駅での旅客営業を再開)、1977年(昭和52年)の西邑楽高校開校に併せて旅客営業を再開し、小泉町駅とともに現在に至っている。東小泉が信号所であった頃、東小泉駅は西小泉 - 太田間と西小泉 - 館林間での乗り換え専用駅であり、乗降車駅として利用することはできなかった。

太田 - 東小泉間では2003年(平成15年)3月19日にワンマン運転を、2006年(平成18年)3月18日からは桐生線との直通運転を開始した。また、残った館林 - 西小泉間でも2006年9月28日からワンマン運転が開始され、小泉線は全区間でワンマン運転が行われるようになった。

ウキペディヤより引用











 

| 花雷 | 鉄道 | 13:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
小田急 ロマンスカー 10000形HiSE車

1987年から2012年まで小田急電鉄が運用していたロマンスカーである。
小田急開業60周年を記念して1987年に登場した特急車両で、前後の展望席以外の客室を高床化した車両である。「HiSE」という愛称が設定され、1988年には鉄道友の会よりブルーリボン賞を授与された。1991年に20000形(RSE車)が登場するまでと、2002年から2005年に50000形(VSE車)が登場するまでは特急ロマンスカーのイメージリーダーとして扱われてきたが、バリアフリー対応が困難なことからVSE車の登場後は淘汰が開始され、2012年3月のダイヤ改正をもって営業運転を終了した。廃車後、一部の車両が長野電鉄に譲渡された。

ウキペディアより

| 花雷 | 鉄道 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
快速 くびき野  485系
JR東日本が、新井駅 - 新潟駅間を信越本線経由で運行する快速列車です。
1日3往復が運行されています。



| 花雷 | 鉄道 | 07:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
常磐線 231系及び531系
2002年3月からは常磐快速線と成田線に投入されました。
基本編成(10両編成)17本(170両)、付属編成(5両)19本(95両) (合計265両)


2005年7月までに90両を投入した後は、2006年度の秋までに140両を新造して403系および415系鋼製車を置き換え、さらに60両を新造して最終的には290両の陣容となる予定でしたが、常磐線中距離列車へのグリーン車導入決定により計画が変更され、付属編成5両を2本追加製造し、基本10両編成22本220両と付属5両編成16本80両の計300両です。


| 花雷 | 鉄道 | 07:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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