花雷 日記

夏は、花火を追いかけています。週末は、子供の頃から好きだった歴史的遺産を散策しています。デジカメ持って散策しています。同業者の方が結構いるので、お・ど・ろ・きです。
和田倉噴水公園  ライトアップ


久々に噴水をみました。
いつもはさっさとみて終わるのですが、今回はゆっくりと色んなバージョンを楽しんできました。

昭和36年(1961)天皇陛下(当時皇太子殿下明仁親王)のご成婚を記念して造られ、面積は15,000屬△蠅泙后 その後皇太子殿下のご成婚記念で平成7年(1995)6月噴水公園が再整備され、 新しく水の流れ落ちる施設やモニュメントが造られました。




















 
| 花雷 | 夜景 | 07:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
あけましておめでとうございます。
本年も史跡をめぐっていきたいと思っています。
つたないブログでありますが、よろしく御願いいたします。
 
地元香取神社 初詣
| 花雷 | 夜景 | 08:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
一年ありがとうございました。
つたないブログを読んでいただきありがとうござました。
感謝いたします。

良い年をお迎えください。

地元香取神社
 
| 花雷 | 夜景 | 22:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
横浜市  開国博Y150
 




たねまる。
横浜開港資料館の中庭に植えられるタマクスの木の精。上半身は芽を出した種子、下半身は船をモチーフにしており、横浜のタネが世界に向け出航するイメージを表している。声は横浜出身の松本梨香が担当。デザインおよび名称は一般公募によるもので、デザインは520作品の中から選出されました。
博覧会のみならず、横浜開港150周年記念事業全てのマスコットです。2009年度の年賀はがきなどにも印刷されました。また、たねまるをモチーフとしたご当地キティのグッズも制作されています。


開国博Y150(かいこくはくわいひゃくごじゅう)とは、横浜港開港150周年を記念して2009年4月28日から9月27日までの153日間、神奈川県横浜市で開催されていた博覧会です。
正式名称は、横浜開港150周年記念テーマイベント「開国・開港Y150」であり、「開国博Y150」はこのイベントの愛称である。英文表記は"A Grand Exposition for Yokohama's 150th Year"。主催は財団法人横浜開港150周年協会。


最終日に外だけみてきました。笑



| 花雷 | 夜景 | 09:19 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
横浜 赤レンガ倉庫


赤レンガ倉庫(新港埠頭保税倉庫)は、明治時代の終わりから、大正時代の初めにかけて建設されました。当時の横浜港は、1859年(安政6年)の開港から半世紀を経て、近代的な港湾の整備が横浜市にとって急務となっていました。1889年(明治22年)には第1期築港工事が始められ、大桟橋、東西防波堤などの整備が進められました。これに続く1899年(明治32年)には、横浜税関拡張工事の名目で大蔵省が主導して、第2期築港工事が始められました。
第2期築港工事は、前期と後期に分かれます。前期工事は、税関前の海面を埋め立てて、係船岸壁を有する埠頭の建設を主に進めました。係船岸壁とは、船が直接接岸できる岸壁で、その建設は日本初の試みでありました。引き続いて1905年(明治38年)に始められた後期工事は、埠頭の拡張と陸上設備(上屋、倉庫、鉄道、道路)の整備を目指しました。赤レンガ倉庫は、後期工事の中で、国営保税倉庫として建設され、後期工事には、日清戦争後に急伸し東洋最大の港となっていた神戸港や大阪港に対抗するため、横浜市も約270万円の費用を負担して、築港の完成を急いだ。これは横浜市が国に働きかけて実現させた事業であり、国と地方の共同事業の嚆矢となりました。


赤レンガ倉庫の設計は、妻木頼黄・部長率いる大蔵省臨時建築部。妻木頼黄は、馬車道にある横浜正金銀行本店(現、神奈川県立歴史博物館)の設計もし、明治建築界三巨頭の一人だそうです。2号倉庫が1911年(明治44年)、1号倉庫が1913年(大正2年)に竣工。第2期築港工事は1914年(大正3年)までに完成し、ここに税関埠頭、現在の新港埠頭が生まれました。
全長約150メートル、背面に鉄骨造ベランダを持ち、日本初のエレベーターや避雷針、消火栓を備える赤レンガ倉庫は、国営保税倉庫建築の模範となるとともに、組積造技術の最高段階を示す建築とされています。レンガとレンガの間に鉄を入れる補強が施されていたことで、1923年(大正12年)に発生した関東大震災でも、被害は1号倉庫の約30%損壊にとどまりました。


赤レンガ倉庫を含む新港埠頭は、第二次大戦終戦後の1945年(昭和20年)に、連合国軍に接収され、横浜税関に連合国軍最高司令官総司令部が置かれ(後に第一生命ビルへ移転)。新港埠頭のほかにも、横浜港は大部分が連合国軍に接収されて使用不能となり、横浜の復興を遅らせる原因となったそうです。新港埠頭は、1954年(昭和29年)に商船の臨時使用が許可され、1956年(昭和31年)に1号から6号岸壁と赤レンガ倉庫を含む上屋の接収が解除されました。接収解除後は、貿易の急増によって入港船舶トン数、取扱貨物量など、すべての数値が戦前の記録を更新しました。しかし、貨物のコンテナ化が進展して他の埠頭に主役が移り、1976年(昭和51年)には取扱貨物量が激減した。1986年(昭和61年)から翌年にかけて放送されたテレビドラマ「あぶない刑事」のエンディングで、赤レンガ倉庫がロケ地とされたことにより注目を浴び、倉庫への落書きなども横行。1989年(平成元年)には、倉庫としての役割も終え、その後しばらく放置されました。


1992年(平成4年)、横浜みなとみらい21の整備に伴ってウォーターフロントの再開発計画も進められ、横浜市は赤レンガ倉庫を国から取得し、周辺地域と一体的に整備を始めました。横浜市は、5年以上かけて倉庫を修復し、保存活用するための工事を進めました。また、関東大震災で倒壊したため埋められていた横浜税関事務所の遺構や旧・横浜港(よこはまみなと)駅のプラットホームなども発掘・復元し、山下公園まで続く山下臨港線プロムナード(汽車道)も整備しました。
 
こうして、2002年(平成14年)4月12日、赤レンガ倉庫を中心とした付近一帯は、展示スペース、ホール、広場、店舗からなる商業施設赤レンガパークとしてオープンしました。赤レンガ倉庫1号館は主に文化施設として、財団法人・横浜市芸術文化振興財団が運営。赤レンガ倉庫2号館は商業施設で、株式会社横浜赤レンガが運営する。株式会社横浜赤レンガには、キリンホールディングス(キリンビール)、サッポロビール、ニユートーキヨー、ハリマビステム、相模鉄道、タカナシ乳業、崎陽軒、三菱地所、竹中工務店などが出資しています。
赤レンガパークは、2006年(平成18年)1月に通算来場者が2000万人を超えるなど、横浜の人気観光地となっています。2007年には経済産業省により近代化産業遺産として認定されました。

| 花雷 | 夜景 | 07:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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